今日は「自問自答」という言葉についてのお話です。
「自問」はできても「自答」ができない状態の時に、答えが出せないことに囚われ過ぎないための工夫について。
私と同じように、考え込んではまってしまうタイプの方には参考になるかもしれません。
辞書の意味
「自問自答」
辞書で調べてみると、
【自問自答】
自分で問いかけ、自分で答えること。「心の中で何度も—する」
出典:小学館 デジタル大辞泉
とあります。
おそらくイメージ通りだったと思います。
言葉の意味自体は、特に難しいものではないですね。
実践において
本題に移りましょう。
「自問自答」
つまり、「自分で問いかけ、自分で答えること」ですが、
実際に日々の生活で、人生で、仕事や経営の重要局面で「自問」してみた時に、
いつもいつも答えが出るでしょうか?
正しい答え、適切な答え、妥当な答え、…
そういう類の答えに限りません。
正しい正しくないという尺度を超えて、
「自分がどういう意思をもっているのか?」
「自分の心がどちらに向いているのか?」
こういった回答自体も出せないことって、ありませんか?
私はありまして…
気持ち自体が整理されていなくて、それ自体ごちゃごちゃしていることもありますし…
気持ちはある程度整理できているけれど、意思決定の時点でちょっと決めかねているというか…、葛藤しているというか…、踏ん切りがつかず答えが出せないことが…
この、最後に「…」という煮え切らないニュアンスがつくような時は、バシッと答えが出せないですね。
そんな状態の時は、「自問」はしているものの「自答」はできていないので、「自問自答」と呼ぶのもどうかと…
「自問自答」という言葉がしっくり来ない
私は20代の頃(90年代後半~2000年頃)に、「静かに考える時間を持つこと」の重要性を感じ、2001年頃からそれを習慣にしています。
※私が「自問」をするようになったきっかけの記事(『考えていたことを上手く言い表せた時に、はじめて、自分が何を考えていたのか本当によくわかる。』)参照
もう20年以上、もうすぐ25年くらいになるので、慣れ親しんだ日常の一部になっていますが、ここまでの途上で1つ、しっくり来ないことがありました。
日々やっている「静かに考える行為」を、何と呼ぶか?
例えば、「内省?」「自問?」「振り返り?」「自己観照?」「自己省察?」…
私の場合、「自己観照」や「自己省察」は堅すぎて、自分の日常行為としてはちょっと…
「内省」「自問」「振り返り」が合う時もありますが、「自問自答」っぽい感じの時もあったり…
じゃあ、「自問自答」かなぁ…というと、これもしっくり来ない感じがありました。
答えが出せないことも多かったので。
そんなプロセスを経て、私が「自問自答」の代わりに使っている表現があります。
「自問自照」です。
「自問自照」という言葉は、辞書にはありません。
個人的に使っている造語です。
「自照」というのは、辞書には
【自照(じしょう)】
自分自身をかえりみて深く観察すること。
出典:小学館 デジタル大辞泉
とあります。
ですので、「自問自照」は
「自分で問いかけ、自分自身をかえりみて深く観察すること。」
となります。
この言葉で表現すると、答えが出せない場合でも
「答えが出せない状態の自分」を深く観察し、俯瞰して認識することはできます。
「今はこういう状態で、まだ答えが出せずにいるんだ」と。
答えが出ても、出なくても、その自分の状態を俯瞰して認識することができます。
自分の力を発揮させる、ちょっとした工夫として
いろいろ考えても、答えが出せない時もあるものです。
そんな時、答えが出せないことに囚われていると、気持ちも落ち込みますし、思考もなかなか前に転がっていきません。
同じように答えが出せない状態でも、「自答」を「自照」に代えることで、意外と流れが変わったりします。
現状を俯瞰・肯定し、気を取り直して、次のことに意識を向けやすくなるのであれば、こんな工夫も有りではないかと思います。
自分の力を発揮させる工夫の参考になれば幸いです。
(ちなみに今は、「内省」や「自問」、「振り返り」と呼ぶことがあったり、「自問自答」の代わりに「自問自照」を使ったりしています。あくまで個人的工夫の範囲で、他者との会話で「自問自照」は使いません。)