今日は「差別化」についてのお話です。
先日『「勝ち負け」にとらわれていないか?「優劣」に意識を奪われていないか?』の記事で、「勝ち負け」「優劣」の発想に染まる不都合についてお話ししましたが、「差別化」の発想の時にも似た問題があると思い、取り上げてみました。
「勝ち負け」や「優劣」の発想が強くなると…
先日の記事(『「勝ち負け」にとらわれていないか?「優劣」に意識を奪われていないか?』)で、「勝ち負け」や「優劣」の発想に染まる不都合として、「自分目線」が強くなることを取り上げました。
「自分目線」とは、自分の位置から見える景色で物事を捉えたり、自分にとっての損得で物事を考えたりする状態のことです。
つまり、「自分目線」が強くなるというのは、自分以外の人から見える景色を想像したり、自分以外の人の状況を推し量ったりすることに、意識が向かわなくなってしまうということです。
「勝ち負け」や「優劣」の発想が強くなると、気づかないうちに『自分も相手も第三者も、全体としても…』という俯瞰的な視座が薄れて、「自分の…」「自分にとって…」という視座に陥りやすくなります。
その傾向が仕事や経営で現れると、「消費者目線」や「社会目線」が薄れていきます。
「自分目線」が強くなって「消費者目線」が薄れると、どんな不都合があるのでしょうか?
例えば営業の場面ではお客様の話に耳を傾ける姿勢が薄れて、自分の話したい事ばかりに意識が向かうようになります。
それが顕著になると押し売りのような形になりますが、そこまでいかないにしてもお客様のニーズや都合を差し置いて、過度に自社商品をアピールをする傾向が出てきます。
そういう営業が苦手な(=win-winの商談をしたい)営業担当者がいたとしても、属する組織の上司がそういう発想で指揮・命令をしていれば、大体その方針でやらざるを得ないと思われます。
気が進まないながらも、何とか気持ちをおさめてやっていく流れになるでしょう。
また、人は急き立てられて余裕がなくなると「自分目線」が強くなる傾向があるため、そういう仕事環境に置かれていると、その営業担当者も同様の営業スタイルに向かいがちです。
あるいは、お客様中心の営業をしたい担当者の場合は、そんな自分と組織の方針の狭間で悩み込んでしまうかもしれません。
それが元々あからさまに「つべこべ言わずに売ってこい!」という上司であれば悩みの種も分かりやすいですが、口では「お客様のことを考えろ」と言いながら、実情が「自社都合の営業スタイル」の場合には、釈然としない思いが絡み合った悩みになってしまいますので、もう力を発揮できるような状態ではなくなってしまいます。
先日の記事では、「自分目線」が強くなって、こういった問題に波及するというお話をしました。
「差別化」を考えている時は?
それでは「差別化」の発想の時は、どうでしょうか?
ここで言う「差別化」は、インターネットで解説されているような詳しい理解でなくても構いません。
日ごろ「差別化」という言葉を使う時に、パッとイメージする捉え方で考えてください。
その「差別化」を、自分(自分たち)が考えたり実践したりしている場面を想像してみてください。
自分(自分たち)の意識が強く注がれているところはどこでしょうか?
多くの場合「差別化」しようとしているところ、つまり「自社と競合他社(の商品やサービス)の関係性」に、一番注がれているのではないでしょうか。
「他社にはない付加価値を持って、商品やサービスの差別化を図ろう」
「自社の商品やサービスの価値を強く打ち出して、競合他社に対する優位性を顧客にアピールしよう」
多くの人にとって「差別化」は、こういう発想で優位性を築こうとする手法のため、「競合との関係性」を注視するのは自然な流れだと思います。
「競合との関係性」を注視して、商品やサービスの見直しをしたり、営業時のポイントを考えたりすることは、もちろん悪いことではありません。
それによってうまくいっているケースも多いと思います。
しかし思いのほか成果につながっていない場合や、「競合との関係性(=優劣)」ばかりに意識が集中してしまう場合には、立ち止まって考える必要がありそうです。
「差別化」を考えると、「優劣」の発想や「自分目線」が強くなる
「差別化」を考えることで「競合との優劣」や「自社の優位性」に意識が集中することは、珍いしことではありません。
しかし「優劣」の発想が強くなり「自分目線」も強くなると、「消費者目線」や「社会目線」が薄れてしまいます。
「消費者目線」が希薄になると、先ほど一例としてお話しした、自己主張の強い営業スタイルになってしまうこともあります。
あるいは「差別化」すること自体が目的化してしまうと、消費者にとってはあまり魅力を感じない、ただただ他社とは違う部分を盛り込んでいくようなトンチンカンな流れになる可能性もあります。
トンチンカンな方向性にはならないとしても、「差別化」をしようとして作られた商品やサービスは本質的な独自性ではなく、表層的だったり部分的だったり、小手先の「差別化」になりがちです。
本来であれば消費者の潜在的なニーズや、需要と供給のバランス、あるいは自社の特徴や制約条件の中で現実的に供給可能なことなど、複眼的に深く掘り下げて『独自の本質的な価値』を探り、「差別化」はその結果生まれるものです。
「消費者目線」や「社会目線」、「従業員目線」も含めた俯瞰的視座から浮かび上がってきたものではなく、表層的に「他社との比較」から生み出されたものは、同じように「他社との比較」によって生み出そうとしている競合他社と、皮肉にも似かよってしまいます。
このように、「差別化」を考えることで、本意でない流れに向かってしまうケースがあります。
そういった不都合が見過ごせないようであれば、「競合との関係性」や「自社の優位性」でなく、「社会や消費者との関係性」や「自社のポジショニング」に意識を転換させる工夫が必要でしょう。
代替案を考えてみる
それでは対処の必要性を感じた場合には、どんなことをしたらよいのでしょうか。
とても素直に考えると、もともと「差別化」の発想で考えるところからはじまっている問題ですから、「差別化」の発想で考えることをやめればよいことになります。
少し根本に返って考えてみてください。
そもそもなぜ「差別化」を考えたのでしょう?
おそらく多くの場合、他社と同じような商品やサービスでは消費者に選んでもらえないからといった理由だと思われます。
つまり、他社と違った商品やサービスの方が消費者に選んでもらいやすくなるという狙いです。
しかし、そういう意図を持って「差別化」に取り組んだ結果、成果が思わしくなかったり、不都合が出てきたりしてしまった。
なので、「差別化」をやめる案が浮上している。
ここで単に「差別化」をやめるだけで終わってしまったら、「差別化」による問題は収まるかもしれませんが、「差別化」に取り組む前の状態に戻るだけなってしまいますね。
それでは不本意だと思います。
できれば「差別化」の発想に代わる別のもので、当初の意図に適うような発想が欲しい。
ここまでのお話から、代替案に求めるポイントを大まかにまとめると、
といったところでしょうか。
「差別化」から「相乗効果」へ
「差別化」に代わる発想として、私は「相乗効果」の発想を提案しています。
これは「差別化」の発想でつまずいた、私自身の体験がベースになっています。
「差別化」を考えると、「競合との優劣」に意識が向かいがちですが、「相乗効果」を考えると「競合との相補関係」に意識が向かいやすくなります。
「相補関係」とは、「互いに不足を補い合う関係」です。
社会や消費者の全体のニーズを業者全体で補い合って満たそうとする考え方です。
皆が同じことをやっていては「相乗効果」や「相補関係」にはなりませんので、自然と「他社と違った提供価値」を考えることにつながります。
また、「差別化」を考えている時は「自分目線」、つまり「業者目線」になりがちですが、「相乗効果」を考えている時は「業者同士が互いに不足を補い合った供給全体」に意識が向かい、「社会や消費者の目線」で考えやすくなります。
さらに、「不足を補い合うこと」に意識が向かうと、社会的課題(=解決策が不足しているところ)や需給バランス(=供給が不足しているところ)、消費者のニーズ(=選択肢が不足しているところ)への意識が自然と喚起されますので、本質的な価値を複眼的に掘り下げる観点でもマッチしています。
先ほど挙げた代替案に求めるポイントについて、それなりに適っているのではないでしょうか。
少なくとも、「差別化」の発想のままで考えたり行動したりしているよりは、ずっと好影響でしょう。
あえてデメリットを挙げるとするなら、どうしても本質的な価値を創造する流れに向かってしまうので、表層的な価値の創造に比べると相応に骨が折れることでしょうか。
インスタントなノウハウではないということですね。
「相乗効果」という言葉に関しては、意味合いが同じであれば同じ流れに向かうと思いますので、別の言葉でもよいと思うのですが、今のところ「相乗効果」に落ち着いています。
「差別化」と比べてちょっと文字数が多いのが難点ですが、最後が「か」で終わっている(「そうじょうこうか」)という点では、「さべつか」と韻を踏んでいて、対比しやすいのではないでしょうか。
感覚を大事にしてください
今日は「差別化」の発想による不都合と、それに代わる発想について取り上げました。
ピンと来なかった方は、特に問題を抱えていないと思われますので読み捨ててくださいね。
通ずる感覚があった方は、参考にしていただければ幸いです。