Question

「理念で飯が食えるのか?」という問いは、自分の役に立つのか?

 

今日は、「理念の必要性」についてのお話です。

 

「理念の必要性」は人それぞれです。

全く必要ないという人も沢山いますし、無くてはならないという人も沢山います。

皆に共通する正解はありません。個々の必要性があるだけです。

 

『自分(自社)にとってはどうなのか?』

この一点にフォーカスして、考えてみてください。

堂々巡りのようになってしまう方へ

 

皆さん「理念が大事」という話は、多かれ少なかれ耳にしたことがあると思います。

では「理念の必要性」について、今どのような見解を持っていますか?

 

かなり自信を持って、「必要」と考えている。

あるいは、

かなり自信を持って、「不要」と考えている。

このどちらかであれば今日のお話はさほど重要ではありません。

 

今日のお話が有用だと思われるのは、

言葉で表現はできなくても、体験的に心や体の奥の方で「理念が必要」と感じている一方、どこかしらで「理念で飯が食えるのか?」といった意見を耳にして、頭でそれを反芻はんすうしてしまっている方です。

 

どちらかに軍配が上がればこの苦しい状態から抜けられるのですが、いずれも決め手に欠けていて堂々巡りのようになってしまう。

私自身、過去にそのような経験をしていて、とても気持ちが分かります。

 

この堂々巡りの状態から脱却を試みる一つとして、一度問いを変えてみてはどうでしょうか。

「理念で飯が食えるのか?」という問いを、「理念無しで飯を食い続けていけるのか?」に変えてみるのです。

(この表現があまり好きでなければ、「理念無しで継続してやっていけるのか?」でも構いません。)

 

これは事業を継続していれば、時には逆境が続く苦しい時期もある中で、経営者自身が自分のよりどころとする観点もありますし、ともに働く従業員の皆さんの、日常での判断基準や精神的支柱になるという観点もあります。

(※ 「理念」とは?)

 

一般化しないこと(皆に共通する結論を出そうとしないこと)

 

「理念無しで飯を食い続けていけるのか?」

 

この問いのポイントですが、一般論として考えないことです。

他社のことを考える必要もありません。

当事者それぞれの問題ですから。

 

社会全体で観れば、「理念なんか無くても食い続けていける(やっていける)」という経営者の方も沢山いるでしょう。

同じように社会全体で観て、(正社員の方からパートやアルバイトの方まで含めて)会社に勤める立場の人の中には、「理念?よく分からない」「考えたこともない」という人もかなりいるでしょうから、「理念など不要」という会社が沢山あっても不思議ではありません。

 

一方で、「理念無くしては食い続けていけない(やっていけない)」という経営者の方も沢山いることでしょう。

また、従業員として日々働く上ではもちろんのこと、就職(転職)活動の時点ですでに、多くの人が理念(=会社あるいは経営者の考え方や価値基準を知る材料)を必要としている現実もあります。

 

どちらにしても長い目で観れば、会社(経営者)の考え方や価値基準と合う人(=馴染なじむ範囲の人)が従業員として残っていくと思われますので、一般論として正解をどちらかに決める問題ではありませんね。

必要という会社も、必要ないという会社も、どちらもその当事者にとっては正解です。

 

私はやっていける気がしないです

 

ちなみに私の場合ですが、仮に自分がどこかの会社に勤める側だとしたら基本的に理念はあって欲しいのですが、特に責任が重い立場や対人の職種(営業や接客など)だったら、理念がない状態ではまず無理だと思います。

仕事を数年続けるだけのことを想像してみても、やっていける気がしないですね。

 

では経営する立場だったらどうかと言うと、従業員として働く以上に理念がないと無理です。

つまり、食えるとか食えないとかそういう問題以前に、仕事を数年続けるだけのことを想像してみても私はやっていける気がしないので、どんな風に働いていくにせよ私個人としては「理念が必要」ということになります。

 

(※ここで言う「理念の有無」とは、もちろん形としての有無ではなく、組織がそれに則って運営されているかという実態としての有無です。形式上の「理念」はあっても形骸化していて、従業員側から見たら「形だけ」と感じる状態は、「理念がない」という見方になります。)

 

自分にとって適切な問いなのか?

 

ところで「理念の必要性」を考える上で、「理念で飯が食えるのか?」という問いはどれほど役に立つのでしょうか?

もともと(感覚的に)不要だと感じている人が納得の材料にする分にはよいと思うのですが、もともと(感覚的に)必要だと感じている人が、その必要性を(論理的に)吟味しようとする目的にはそぐわない気がします。

 

本来は、必要性をどんどん掘り下げて考えていきたいところです。

にもかかわらず一方でこの問いすると、深く掘り下げるどころか思考がストップしてしまい、なんだか悶々とするだけになってしまいます。

 

その点、「理念無しで飯を食い続けていけるのか?(継続してやっていけるのか?)」という問いなら、変に思考を止めることはありません。

むしろ、言葉にはできていないけれど経験的には感じている「理念が無いことによる不都合」について、深く掘り下げていけるのではないでしょうか。

 

少なくとも、「理念で飯が食えるのか?」という問いを反芻はんすうしてるよりは、得られるものがあるはずです。

 

必要性は理屈ではなく、当事者にとって不都合があるかないかの問題

 

「創業当初は必要性を感じていなかったけれど、従業員が増えるにつれて次第に必要と感じるようになった」という経営者の方も多いようです。

あの松下幸之助さんもそうだったみたいですね。著書でそう語られています。

なんとなくそう感じる方は、そういう時期なのかもしれません。

 

それぞれの会社の正解があるとは言っても、周りの経営者がみんな「理念なんか要らない」という方ばかりだったら、なかなかそう思えない方もいるでしょう。

とはいえ、周りの経営者がみんな「理念など無くやっていける」(と言っている)としても、現実として「自分(自社)はやっていけない」と感じているのであれば、そう感じさせている何かとしっかり向き合うしかありません。

 

当事者以上に必要性を考えられる人はいないと思います。

巷の「知識」や「情報」、あるいは周りの「意見」や「アドバイス」ではなく、自分(自社)の「実情」「実態」に基づいて、理念の必要性を考えてみてください。

 

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