「アドバイス」ではなく「問いかけ」
私はこのブログでいろいろなお話をしていますが、
「こういう考え方をした方がいいですよ!」
「こういう対策をした方がいいですよ!」
「こういう選択をするのが一番ですよ!」
というスタンスでお話ししているわけではありません。
このブログのお話は、
『なんとなく問題を感じていながら、一般論や風潮、あるいは属しているコミュニティや影響力の大きい人物に流されていた』という方に向けて
『見過ごせないほどの問題を感じているなら、一般的傾向や支配的空気とは違う次善の選択をしてもよいのでは?』
と問いかけているものです。
「共通の結論」ありきでなく「それぞれの背景」が焦点
『(一面好ましいと感じる)今の選択によって(別の面で)問題がある場合に、あえて今の選択をやめて、次善の選択をするか?』
というセカンドベストの発想がベースにありますが、『次善の選択をしましょう!』というメッセージではありません。
「共通する結論」先にありきでなく、
皆さんそれぞれに、『ご自身の背景』を自問していただくことが第一義で、
お話に出てくる知識・手法・考え方は、結果として必要であれば、必要な分だけ取り入れていただきたいと考えています。
『今の選択による不都合(=背景)』が、あえて今の選択をやめるほどの問題でなければ、
取り上げている知識・手法・考え方は、差し当たって必要なものではありません。
一方、
『今の選択による不都合(=背景)』が、あえて今の選択をやめるほどの問題であるならば、
取り上げている知識・手法・考え方が「次善の選択(=結論)」になるとは限りませんが、何らかの対処をする必要は出てきます。
最大の焦点は、
「新たな知識・手法・考え方を取り入れた方がよいか?」という議論ではなく、
そもそもとして
『今の選択を脱却する必要性を感じているか?』という個々の感覚です。
「やった方がいいこと」に終始しがちな日常で…
私たちは日頃、24時間インターネットにつながる環境下で、ジャンルを問わず、無数の「やった方がいい!」(あるいは「やるべき!」「やらなければいけない!」など)という情報に囲まれています。
無意識・無防備で過ごしていると、どうしても紹介されている情報(=知識・手法・考え方)の方に意識を奪われてしまい、一歩引いて『自分の価値基準や制約条件、あるいは根本的な方向転換の必要性』に思いを馳せる意識は飛んでしまいます。
日々触れる情報の中には、その情報だけを単独で見ればもっともな話でも、様々な要素が絡み合った現実への適用を考えると、『何か引っかかる…』『どこか釈然としない…』といった感覚(=違和感や問題意識)を抱くものも少なくありません。
しかしながら、絶え間なく押し寄せてくる情報や周りの支配的空気に圧倒されると、「考えすぎかなぁ…」「自分の感覚(考え)がおかしいのかなぁ…」と自分で自分に言い聞かせて、また大量の情報に意識を奪われてしまうことも多いのではないでしょうか。
このブログは、そんな感覚を抱いている方に向けて、『自分の心の声(=違和感や問題意識)を見過ごしていませんか?』『釈然としていない何か(=まだ言語化できていない不都合)をよく考えてみませんか?』と問いかけているものです。
特に何も感じない記事やしっくり来ない記事は、どんどん読み捨ててください。
『ピンと来る』『通ずる感覚がある』という記事についてのみ、一考していただければと思います。
考える(自問する)に際しては、「情報」主体の思考、「やるべきか?」「やった方がよいか?」という「結論」主体の思考は、少々控えめにしてみてください。
どんなお話についても、『自分や自社スタッフの傾向』を振り返りながら、
『通ずる感覚があるか?』
『対処の必要性を感じるか?』
『(世間や周りの人はともかく)自分はどう思うか?』
『(過去の自分はともかく)今の自分はどう思うか?』など、
『自分の感覚(=違和感、問題意識)』や『自分の背景(=不都合、教訓)』を掘り下げる機会にしていただけたら幸いです。