今日は車の「内輪差」を例え話として、組織のマネジメントについて考えてみたいと思います。
まず「内輪差」とは
「内輪差」というのは、車がカーブを曲がる時に、回転中心側の後輪が前輪より内側を通る現象のことです。
普通乗用車でも「内輪差」はありますが、トラックのように前輪と後輪の距離が長くなるほど、前輪と後輪の軌道に差が出てきます。
よく街中で、全長が非常に長い大型トレーラーが最後尾まで曲がり角に食い込まないように、これでもかというくらいに大回りしてハンドルを切っている光景がありますが、あれが「内輪差」の大きいケースですね。
軽自動車のように非常に「内輪差」が小さい場合には、ほとんど注意をしなくても問題は起こりにくいかもしれませんが、それでも多少「内輪差」はありますし、運転席から見た目線の軌道と車体の軌道にもギャップはあります。
組織を車両に例えると
徒歩で角を曲がる時には「内輪差」を意識することはありません。
そもそも車輪がないので当然ですが、例えて言うなら、この徒歩で進んでいる状態が「自分1人で仕事をする」状態です。
角にぶつかれば痛いのは自分なので、自分が痛い思いをしないように進んでいればよいだけです。
「自分1人」の状態を車両で例えるなら、バイクや自転車で考えてみてもいいかもしれません。
直進している時はもちろんカーブを曲がる際も、運転者の目線と車体の軌道にほとんどギャップがありません。
ということは、自分の目線だけで考えていても特に問題がないと言えます。
一方、「自分1人ではなく協働者がいて、少なくとも2人以上で仕事をする」状態というのは、車の運転のように「内輪差」がある状態と例えることができます。
ハンドルを切ることもなく、同じスピードでただ直進しているだけなら問題は起こりにくいかもしれませんが、現実の経営でただ直進しているだけということはあり得ませんので、やはり注意が必要です。
バイクや自転車と違って、自分の目線だけでなく車体の軌道、特に一番接触の可能性がある部分に配慮をする必要があります。
自分(経営者自身)と現場(特に最前線のスタッフ)のギャップ
自分の目線と組織全体の軌道には、どのくらいのギャップがあるでしょうか?
軽自動車のような組織と大型トレーラーのような組織では、ギャップの大きさにも、配慮を必要とする度合いにも、大きな違いがあります。
したがって、自分は一体どのくらいの組織を運転しているのか、まずはその認識が出発点となります。
車の運転では、もっとも接触しやすい部分に配慮をすることが必要でした。
では、事業組織でもっとも配慮すべきところはどこでしょうか?
それは、最前線にいるワーカーさんたちだと私は考えています。
大型トレーラーが曲がり角に接触するとしたら、それは大体において車体の後ろの方(運転席から遠いところ)だと思われます。
組織の運転においても問題が生じやすいのは、大体において運転席から遠いところではないでしょうか。
縁の下の力持ちや弱い立場の人に、シワヨセはふりかかりやすい
例えば、組織の川上から川下への伝達過程で不備があって、組織の川下の方で不都合が生じた場合を考えてみます。
他の車両や通行人を捲き込む接触事故(←本当の事故ではなく、お客様や取引先など組織の外部にも影響を与えるトラブルの例えです)にでもつながれば、責任を取るのは部門長だったり、最終的にはトップの経営者だったりするわけですが、
道路の縁石に乗り上げたり、車体を擦ったりといった観点(←組織内のトラブルの例えです)で見ると、最も川下にいるワーカーさんにシワヨセがふりかかりやすいと思われます。
特に、文句も言わず(言えず)真面目に責務を果たしてくれるワーカーさんに、シワヨセがいくことが多いのではないでしょうか。
ワーカーさんの中でも多少の力関係というか、集団の力学というものがあります。
先輩後輩の関係があったり、声の大きい人(主張の強い人)もいれば、特に声を上げない人もいます。
ワーカーさんの中で誰かがシワヨセを被るような組織の状況下でも、自分にふりかかりそうな重荷を上手くかいくぐる点では、声の大きい人や上手く立ち回れる人はあまり心配要らないかもしれません。
しかし、声を上げない人や上手く立ち回れない人、真面目に責務を果たそうとする人や最近入ったばかりの人など、シワヨセを受けてしまう人たちは非常に心配です。
もちろん、これは声の大きい人や上手く立ち回る人がいけないというお話ではありません。
完全無欠の組織もありませんし、人が集まれば少なからず集団の力学が生まれるのも道理ですから、シワヨセをゼロにしましょうという理想論のお話でもありません。
「組織内で生じるシワヨセについての考慮が、運転席でどれだけ為されているか?」
「組織の中でシワヨセを被る人たちの位置から逆算した対策が、運転席でどれだけ為されているか?」
そういったことによって、シワヨセの度合いに大きく違いが出てくるだろうということに光を当てています。
事業運営をしていれば、一時的な無理がかかることはよくあることでしょう。
ただ慢性的にどこかに無理がかかっている状態は、別の話と捉えることが必要です。
あまりにもその状態が続くと、肉体的にも精神的にも限界がありますから、本来は組織の未来に必要な人材がやむなく去っていってしまうかもしれません。
雑なコミュニケーション(情報伝達)は、シワヨセの連鎖につながる
最前線のワーカーさんに過度のシワヨセが及ばないようにするには、どんなことができるでしょうか?
例えば、組織内で共通認識を持ちたい内容がある場合に、果たして明文化する必要性はどれほどあるでしょうか?
それは理念でも、行動指針でも、作業上のルールでも、マニュアルでも、…
明文化せずして伝わりそうですか?伝わっていそうですか?
日頃、自分の位置(運転席)で「そんなこと言わなくても分かるでしょ!」と感じていることは、本当に言わなくても分かりそうですか?
それは運転席から遠いところでも分かりそうですか?
実際、分かっていそうですか?行動に反映していそうですか?
日頃、自分としては「何度も伝えている」と感じていることは、ひょっとして伝言ゲームの延長のような状態になっていませんか?
最初に自分(運転者)が言った内容が、最前線(運転席から最も遠いところ)でトンチンカンな内容に変貌していませんか?
行動の指針や作業上のルールが明確でなければ(あるいは、あっても守らない人が多い組織では)、往々にして弱い立場の人は、やりづらい状況で仕事をさせられることになります。
伝達の不備があれば(川上の方での不備にせよ川下の方での不備にせよ)、往々にして弱い立場の人は、情報不足(誤情報)の中で仕事をさせられることになります。
また、その結果として生じてくる日常的なトラブル、アクシデントや、それに伴う生産性の低下については、結局誰かが尻拭いする状況に陥ってしまいます。
シワヨセによって生じた問題について、さらに誰かが尻拭いすることになるというシワヨセの連鎖が生まれるのです。
組織内のシワヨセは、運転席(経営者)からしか軽減できない
自動車の運転では接触しそうな部分から逆算して、運転席ではどの程度大回りをしたらよいかを考えてハンドルを切ります。
車両の大きさを認識し、内輪差を踏まえた上で、接触しそうな部分を確認しながら運転することで、適切な軌道を進むことができます。
自分が運転している組織ではどうでしょう。
シワヨセを被ってしまう人の状況から逆算して、運転席の通る軌道を考え直してみたら、これまでの認識よりずっと大回りをする必要があるかもしれません。
シワヨセを被ってしまう人を確認しながら日々運転してみたら、これまでの認識とはだいぶ違った取り組みが浮上してくるかもしれません。
最前線の(特に、シワヨセを被りやすい)ワーカーさんは、多くの場合、通る軌道を自分では変えられません。
「内輪差」の観点も加えて、日頃の運転を見直してみてはどうでしょうか?