精神科医である斎藤茂太さんの著書『そんなに自分を叱りなさんな』より。
「マイナス思考をしてはいけない」という、その「してはいけない」という発想が、まさに「マイナス思考」なのだ。
本当のプラス思考は、プラスのときもあればマイナスのときがあっていいのである。プラス思考をしてもよいし、マイナス思考をしてもよい。「してもよい」というゆるやかな発想がプラス思考だ。うっかり忌み言葉を口にしても取り返しがつくのがプラス思考。
「マイナス思考するべからず」のマイナス思考に縛られないように、プラスやマイナスにあまりこだわり過ぎないこと。出典:斎藤茂太(2009)『そんなに自分を叱りなさんな ~迷い道はムダではない~』 新講社 P.118~P.119
今日は、「プラス思考」によって不都合が出てきてしまう方に向けてのお話です。
「プラス思考」をしようとしたことで、逆につまずいてしまった私の体験をお話ししたいと思います。
「プラス思考」のイメージとは?
ちょっと考えてみてください。
「プラス思考」のイメージとは?
「いつもいつも、どんな時でもプラスで物事を見ることのできる人や、そういう風に見ることのできる状態」をイメージしますか?
つまり、プラス:マイナス=100:0という感じですか?
それとも、90:10くらいですか?
それとも、80:20くらいとか、70:30くらいとか、…
プラス思考がなかなかできないとか実践するのがちょっと苦痛とか、そういう人はもしかしたら、このイメージが100:0に近くなっているかもしれません。
私自身が以前そうなっていました。
「プラス思考」に取り組んで「マイナス思考」に陥ってしまう
私は20代の頃、プラス思考に積極的に取り組んだ時期があります。
なかなかプラス思考になれず、実践することに苦痛も感じていました。
私はプラス思考に取り組むことで、マイナス思考に陥っていました。
プラス思考を強く意識すればするほど、マイナスに捉えている自分も強く意識されてしまうからです。
マイナス思考をしている自分に気がつくと、そんな自分にちょっとがっかりします。
それでまた少しマイナス思考になって、そんな自分に気がついてまたがっかりします。
プラス思考ができない自分に落胆して、よりマイナスの面に意識が向くようになって、どんどんマイナスの捉え方が助長されていってしまう。
そんな悪循環でした。
当時の私を客観的に評価してみたら、プラス思考に近かったのかマイナス思考に近かったのか、それは分かりません。
もしかしたら100の物事のうち、70や80はプラスの捉え方をしていたのかもしれません。
しかし、もしそうだとしても、100のうち20や30はマイナスの捉え方があることになります。
そして、プラス思考を強く意識すると、どうしてもできていない時の20や30ばかりが目についてきます。
その結果、「またマイナスに見てしまった…」「自分はマイナス思考だ…」という気持ちが日々繰り返されて、どんどん増幅してしまい、悪循環から抜けられなくなってしまう。
そんな状態だったと思います。
何のための「プラス思考」なのか?
そもそも「プラス思考」は、何のためのものでしょうか?
「プラス思考」の方が幸せになれるとか、
「プラス思考」の方が仕事がうまくいくとか、
いろんな考え方があると思いますが、基本的には好ましい未来につながることを期待してのことでしょう。。
では「プラス思考」に取り組んでいた時の私はというと、むしろ余計にうまくいっていませんでした。
常に気持ちが晴れない感じで、思考や発想も縮こまって、行動力や成果も下降していたと思います。
冒頭の斎藤茂太さんのお話の中で、
「マイナス思考をしてはいけない」という、その「してはいけない」という発想が、まさに「マイナス思考」なのだ。
とありましたが、正にその発想に陥っていました。
出だしは「プラス思考をしよう」だったかもしれませんが、実践していくうちに、どんどん「マイナス思考をしてはいけない」という発想になってしまい、悪影響を及ぼしていたと思います。
徒労感とバカバカしさ
そんな時期を過ごして、だんだんと「プラス思考」をしようとすることに疲れてきます。
頑張ってやっているのに報われないどころか、むしろ悪化している自分にもだんだんと気づき始めます。
自分を俯瞰して見られるようになってくると、「何のためにやっているんだろう?」とバカバカしさも感じ始めました。
そうして、徐々に「プラス思考」に見切りをつける流れに向かいます。
悪循環も大分味わって徒労感やバカバカしさも感じていましたので、それまでのように積極的に取り組むことはもうありませんでした。
それからしばらく経って、斎藤茂太さんのこの本で冒頭のお話に出会いました。
以前の自分の体験がオーバーラップし、いろいろな記憶や感情がつながって、自分の内面で化学反応が起こりました。
過去のプロセスが整理され、体験が教訓となって、自分に合いそうな考え方のヒントももらえた気がします。
フィードバックと考察
自分はどういう効果を期待して「プラス思考」をやろうとしていたのか?
根本に返って、あらためて考えてみました。
自分なりの意図としては、「マイナス思考だと視野が狭くなったり、気持ちが萎縮したり、行動力が落ちたり、…」と、「マイナス思考が悪影響を及ぼす」と考えて、そうならないように「プラス思考」に取り組んでいたようでした。
その上で自分の現実をあらためて振り返って、実際には「プラス思考」を意識すればするほど「マイナス思考」が強くなって、「マイナス思考の悪影響を避けたい」という自分の意図から遠ざかる展開になっていたことも認識しました。
本来は「マイナス思考が悪影響を及ぼして、不都合が出ること、差し支えが生じること」を避けたい、ということが目的です。
もちろん、「プラス思考をすること」が目的ではありません。
冷静になって、落ち着いて考えてみれば当たり前のお話ですが、やり始めた時はあまり深く考えていませんでしたから、単純に「プラス思考をすること」ばかりに目が向いていました。
結果、求めていない展開に向かってしまいました。
私が特に反省した部分は、「プラス思考をすること」=「自分がマイナスと感じることであっても、無理にでもプラスに捉え直そうとすること」と考えてしまったところです。
これがいけませんでした。
頭でいくらプラスに捉えようとしていても、心でマイナスに感じている自分には気づいています。
それが何度も繰り返されていく限り、「自分はマイナス思考だ」と感じたり「自分はなかなかプラス思考になれない」と感じたりしてしまいます。
結局、この気持ちを払拭することはできませんし、最初からできないことをやろうとしているので苦痛に感じ続けてしまうのも当然です。
斎藤茂太さんの言葉で解放される
もう一度、斎藤茂太さんの言葉を。
「マイナス思考をしてはいけない」という、その「してはいけない」という発想が、まさに「マイナス思考」なのだ。
本当のプラス思考は、プラスのときもあればマイナスのときがあっていいのである。プラス思考をしてもよいし、マイナス思考をしてもよい。「してもよい」というゆるやかな発想がプラス思考だ。うっかり忌み言葉を口にしても取り返しがつくのがプラス思考。
「マイナス思考するべからず」のマイナス思考に縛られないように、プラスやマイナスにあまりこだわり過ぎないこと。出典:斎藤茂太(2009)『そんなに自分を叱りなさんな』 新講社 P.118~P.119
斎藤茂太さんの「ゆるやかな」という言葉が、私はとてもしっくりきました。
「マイナスのときがあってもいい」
「マイナス思考をしてもよい」
「取り返しがつく」
「マイナス思考に縛られないように」
「あまりこだわりすぎないこと」
これらの言葉が、それまでの自分を解放してくれる感じもしました。
私にとって最大の関心は、「悪影響」「不都合」「差し支え」を軽減することです。
その観点からすると、無理に「プラス思考」をして「マイナス思考」を深くするよりは、「あまりこだわりすぎないこと」で「マイナス思考」をさらっと受け流した方が、ずっと増しなように思えました。
実際このスタンスになってからは、「マイナス思考」に飲み込まれることがかなり減りました。
「マイナス思考」自体はもちろんそれまでと同じようにあるのですが、それに引きずられることが少なくなったので、「悪影響」を軽減する観点ではこちらの方がずっといいと感じました。
「プラス思考」でなく、「ゆるやかなプラス思考」。
これが私の基本となりました。
私の試行錯誤の過程が、少しでも参考になる方がいらっしゃったら幸いです。