【補足】
『「自問自答」といいますが、答えが出せない時もありませんか?』の記事の補足です。
●「自問自照」だけでなく、「自己問答」という表現も…
『「自問自答」といいますが、答えが出せない時もありませんか?』の記事では、私の個人的な工夫として、「自問自答」の代わりに「自問自照」という言葉を使うことがあるというお話をしました。
(※「自問自照」という言葉は辞書にはありません。私が個人的に使っている造語です。)
私は「自問自答」という言葉を使うとき、
「自分で問いかけ自分で答えること」
というイメージを連想してしまいます。
「自分で答えること」までがセットのイメージです。
そのため、答えを出せる状況の時には「自問自答」という言葉がフィットしますが、答えを出せない状況の時にはしっくりきませんでした。
これは感覚的なもので「全然そんなことない」という人も多いと思いますが、私の場合はそう感じてしまいます。
それを踏まえると、何か別の言葉で表現する工夫が必要でした。
その工夫が、「自問自照」という表現です。
「自照」とは、「自分自身をかえりみて深く観察すること」です。
この言葉で表現すると、答えが出せない場合でも、「答えが出せない状態の自分」を観察し、俯瞰して認識することはできます。
いろいろ考えても答えが出せない時、答えが出せないことに囚われていると、気持ちも落ち込みますし、思考もなかなか前に転がっていきません。
同じ答えが出せない状態でも、「自答」を「自照」に代えることで、私の場合は流れが変わります。
現状を俯瞰・肯定し、気を取り直して、次のことに意識を向けやすくなるのであれば、こんな工夫も有りではないか。
先の記事では、そんなお話をしました。
さて、今日のお話です。
私は「自問自照」という捉え方をするようになって久しいので、最近の意識からは漏れていたのですが、たまたま見直した過去のノートやメモ紙に、「自己問答」という言葉がちょこちょこ書かれていました。
この時期は、この言葉をよく使っていたのかもしれません。
そう言われてみると、「自問自答」だと「答えを出す」イメージが強いですが、「自己問答」だと「自分の中で対話をしている」「自分の中で議論をしている」ような印象を受けます。
「答えを出す」ところに行く前の、「いろいろ考えている最中」「検討している最中」「葛藤している最中」…のニュアンスです。
(※私が感じているニュアンスです。)
過去の私は、この表現で工夫していた時期があるようです。
久々に振り返って、「これが使える場面もあるな~」と感じました。
いずれにしても私の個人的な工夫のお話ですが、「自問自照」と違って「自己問答」は辞書にある言葉なので、もう少し大っぴらに言ってもよさそうです。
今日のお話も、通ずる感覚がある方のみ参考にしてくださいね。