映画『ハドソン川の奇跡』より。
「遅れても災難より増し」
チェスリー・サリー・サレンバーガー
出典:クリント・イーストウッド監督(2017)DVD『ハドソン川の奇跡』(ワーナー・ブラザース・ホームエンターテインメント)
今日は、「セカンドベスト」の実践についてのお話です。
映画『ハドソン川の奇跡』を鑑賞し、「セカンドベスト」の実践には、日頃の意識づけが不可欠だと再認識しました。
(※ 「セカンドベスト」とは? )
映画『ハドソン川の奇跡』のあらすじ
監督はクリント・イーストウッド、主演はトム・ハンクス。
乗員乗客155人全員が奇跡の生還を果たした、実際の航空機事故を描いた作品です。
2009年1月15日、USエアウェイズ1549便は離陸直後のマンハッタン上空850メートルを飛行中、鳥の群れに遭遇し、両エンジンが完全に停止してしまいます。
このまま墜落すれば、乗客はもちろんニューヨーク市民にも甚大な被害が及んでしまう状況の中で、サリー機長(トム・ハンクス)は近隣の滑走路への緊急着陸ではなく、ハドソン川への着水を決断します。
無事に着水に成功し、全155人の命を救ったサリー機長は英雄として称賛されますが、一転して、行動の責任を厳しく追及されることになります。
そして、調査委員会の聴取により、「滑走路への帰還を選択しなかった理由」を問い詰められていきます。
「不時着以外の選択はなかったのか?」「乗客の命を危険にさらす無謀な判断だったのでは?」…
サリー機長は乗客の命を救ったのか、それとも、自らの過失により乗客を危険にさらしたのか。
これらを争点として、公聴会の議論を軸に、サリー機長の不安や苦悩とともに映画は展開していきます。
作品に興味がある方は、映画をご覧になってください。
さて、今日のお話ですが、この作品の一場面(1時間36分の中のほんの数秒のシーン)で、私が非常に刺激を受けたエピソードです。
サリー機長が財布から取り出した小さなメモ紙
映画の終盤で、サリー機長が財布から小さなメモ紙を取り出して、しばし眺めるシーンがあります。
その小さなメモ紙には
「遅れても災難より増し」
と書かれていました。
私はこのシーン(この言葉)がとても印象に残りました。
映画(DVD)を観終わった後、このシーンだけ何度か観返したほどです。
このシーンで私は、サリー機長が常日頃、安全第一の姿勢でフライトに臨んでいたと感じました。
セリフもなく、ただじっと見つめるだけのシーンだったので、このメモ紙がサリー機長にとってどんなものだったかは分かりませんが、いつも財布に入っていることから推測して、咄嗟の状況判断や意思決定のよりどころにしていたと解釈しました。
そして、私は自分の基本姿勢に重ね合わせて、勝手に肯定感を感じていました。
私の基本姿勢は「セカンドベスト」
私の基本姿勢は「セカンドベスト」です。
「ベスト(最善)を求めてワースト(最悪)になるくらいなら、セカンドベスト(次善)を選択する」
というものです。
そして、サリー機長のメモ紙の言葉は
「遅れないことを求めて被害者を生むことになるくらいなら、遅れてでもそうならないことを選択する」
と言い換えることができます。
自分がいつも基本としている考え方とサリー機長のメモ紙の言葉がオーバーラップして、サリー機長と通ずる感覚を持てたことで、自分の基本姿勢が肯定されている気持ちになりました。
と同時に、「セカンドベスト」の実践のためには、日頃の意識づけが大切だと再認識しました。
いざという時、「セカンドベスト」の実践が難しい訳
「セカンドベスト」は、頭で理解する分にはあまり大変さが感じられませんが、現実社会で実際にやろうとしてみると、想像以上に抵抗感や葛藤を感じると思います。
それは、自分にとって受け入れたくないことを受け入れる必要があるからです。
サリー機長のメモ紙の例で、
フライトで何らかのアクシデントがあった場合に「被害者が出るより遅れる方が増し」と判断することは、フライトをしていない時に頭で考えたり、他人事として客観視していられる分には、『そりゃ、そうだ』というくらいのことかもしれません。
しかし、それをその当事者として、意思決定や実行の責任者として、アクシデントが起こっている最中でやるとなったら話が違ってくるでしょう。
おそらく、「被害も出さず遅れもしない」という一番望ましい案もチラついてくると思います。
これは、現実として飛行機が「被害も出さず遅れもしない」という選択を取れるかどうか、可能性を見極める観点だけではありません。
『本当に「被害も出さず遅れもしない」という選択をとれなかったのか?』と、他者から詰め寄られる観点で頭をよぎることもあると思います。
気をしっかり持たなければ「最高の選択」に飲まれてもおかしくない状況で、「最高の選択」を断念する自分を受け入れる必要があります。
実際には、他にもいろんな思いが次から次へと駆け巡る中で、時間と闘いながら、決断と実行をしなければなりません。
現実社会で「災難を避けるために、あえて遅れを甘受する」という選択をすることは、受け入れたくないことを受け入れる闘い、論理的な分析、時間との闘いなど、全部ひっくるめての決断・実行なので、迷いや葛藤が生まれたり決断をためらったりしても不思議ではないのです。
むしろ、そういう迷いや葛藤が生まれるのが当然で、いざという時にそんな風になることも分かっているからこそ、お守りのようにメモ紙を忍ばせているのかもしれません。
もちろんこれは私がそう考えただけのことですから、実際のところは分かりません。
しかし、少なくとも私が現実社会で「セカンドベスト」の実践をしていくためには、日頃の意識づけが不可欠だということは再認識できました。
パイロットではないが、ドライバーではあるので…
今回の私の学びを、整理してみます。
「セカンドベスト」の実践で、障壁となる主な2つ。
- 自分の中に「ベスト」の選択の欲求があること。
- 他者から「ベスト」の選択を求められていると感じること。
それらの障壁が出てくることを心得て、その上でも「セカンドベスト」を実践(甘受)するために、日頃の意識づけが大切だと再認識しました。
身近なところで、車の運転で考えてみます。
「事故を避けるために、あえて遅れを甘受する」という「セカンドベスト」を考えます。
この実践において障壁となるのは、
「自分が早く着きたい」とか「自分が速く走りたい」など、運転に際しての自分の欲求が一つ。
もう一つは、「早く着かないと怒られる(何か言われる/迷惑をかける/評価が下がる…)」とか、「速く走らないと後続車に迷惑をかける(煽られる/同乗者に何か言われる…)」といった、他者の目が気になってしまうこと。
そういうものがない人は問題ありませんが、そういうものがある人はそれを心得た上でハンドルを握ることが重要です。
また、「どんな状況でもその心得をパッと思い出せる」という人を除いては、日頃からその心得を再認識していないと、なかなか実践(甘受)できるものではありません。
私の場合はどちらも当てはまりますので、それを自覚して、「安全第一でセカンドベスト」(=事故を避けるために、あえて遅れを甘受する)という意識づけを、日常的に行うことが必要です。
ここでは車の運転の例を挙げましたが、仕事や経営も含めて生活全般で「セカンドベスト」の実践をしていくには、それなりの意識づけをやっていくことも不可欠です。
通ずる感覚をお持ちの方に、参考になれば幸いです。