「今日、自社のスタッフ以外で誰かと会いましたか?」
「この一週間ではどうですか?」
「誰と会いましたか?」
「その方たちと、どんな会話をしましたか?」
「会話の主導権は、自分の方にあったと思いますか?」
「それとも、相手の方にあったと思いますか?」
「何か質問されましたか?」
「どんな質問をされたか覚えていますか?」
細かく思い出せた人もいるでしょうし、全然思い出せなかった人もいると思います。
実務的な会話ほど覚えているかもしれません。そして、何気ない会話ほど思い出せないかもしれません。
細かく思い出せなくても大丈夫です。
この記事を読んでもし思うところがあったら、ある一日や一週間を、少し意識的に過ごしてみてください。
自分の思考がどこかに導かれている
今日のお話の焦点は、先ほどの質問の後半の部分です。
「会話の主導権が相手の方にあったか?」と、「どんな質問をされたか?」です。
この2つが何かというと、「この2つによって自分の思考がどこかに導かれている」というお話です。
例えば「いい天気ですね~」と話しかけられたら、どう返しますか?
「そうですね~」とか「夕方からは崩れてくるみたいですよ~」とか、そういう感じですよね。
「いい天気ですね~」と言われてるのに、「パソコンです」とか「右から3番目です」とか、あまり無いですね。
会話というのは相手の投げたボールに対して、呼応するボールを返してのキャッチボールになるんですよね。
そして、主導権が相手にあったり相手が質問してきたりしていると、自分の方は基本的に、相手に合わせて返す形になってしまうんです。
今、最後に「…になってしまうんです。」と言いましたが、そういう形になっても別に構わないかもしれません。
何気ない日常の会話で、そこまで気にする必要はないかもしれません。
でも大多数がどうであろうと、「よくよく考えてみたら(自分の場合は)まずいかもしれない…」と感じるようであれば要注意です。
知らず知らず、思考の傾向ができている
ちょっと想像してみてください。
「従業員の長所や努力している部分に目を向けよう!」と、日ごろ意識している経営者の方がいるとします。
それで最近よく会っている経営者仲間が、会うたびに従業員の愚痴を言っているとしたらどうでしょうか?
「それはそれとして話につき合って、自分のこともちゃんとやるよ」という考えもあるでしょうし、
「今は愚痴を聞く余裕はない!暇があったら長所のことを考えたい!」という考えもあるでしょう。
一つ言えることは、「…が使えなくてさぁ」と言われたら、「(従業員)が使えない」という言霊が自分の頭と心に響き渡り、そのイメージも想起させてしまいます。
一方、「…には感謝しててさぁ」と言われたら、「(従業員)に感謝してる」という言霊が自分の頭と心に響き渡り、そのイメージを想起させます。
一つの発言、一回の発言だけをとれば大した差ではないかもしれませんが、日常的にいろんな場面で積もり積もっていくと考えたら、かなりの脅威になります。
ここでのポイントは、この例に限らず日常生活全般で、自分が意識したいことを喚起・促進してくれる会話や質問もありますし、逆に自分が意識したいことを阻害し、後退させてしまう会話や質問もあるということです。
そして、自分の意識づけの観点で、後退している余裕がない人ほど注意が必要ということです。
一日24時間の中で、自由に使える時間はどのくらいあるでしょうか?
一週間では、どうでしょうか?
薄まってしまった意識や考え方を取り戻すために、日常的にどれだけの時間を確保できるのでしょうか?
薄まっただけでなく望んでいない発想を頭や心に刻み込んでしまって、そのまま次の日を迎えてしまったら、次の日はそこからのスタートになります。
そして、その繰り返しで自分の思考の傾向ができ上がっていきます。
進化したメディアによって、常に影響を受けてしまう社会環境
ここまでのお話では、直接会った人との会話をクローズアップしてきましたが、それ以外にもメールやLINEでのやり取りも日常的にありますし、あるいはテレビ番組やSNSによる影響も多分にあります。
(この場合は会話ではないですが、その情報の話題や発想に自分の思考は導かれて助長されていきます。)
そういう影響を踏まえると、強化したい思考・発想・世界観や、心に留めておきたい見方・考え方・着眼点などを保持するためには、日々接する情報や人づき合いについて、控えめにしたりある程度制約したりする必要があるかもしれません。
多くの人にはそんな必要がないとしても、自分にはあるのかもしれません。
・「今、どのくらい考え方や意識づけについて努力している最中か?」
・「今、どんな会話や情報に囲まれて日々過ごしているか?」
・「今、一日の中で自由に使える(思考の修正や醸成に使える)時間がどのくらいあるか?」
など、人それぞれ違います。
したがって、「このままでは、マズイかな…」という感覚も人それぞれで違ってきます。
特に制限を加えなくても問題がないのがベストですが、思うところがある方は一日でも一週間でも少し意識的に過ごして、ご自身のセカンドベストを考えてみてはどうでしょうか。
(ちなみに私は、日々触れる情報も日常的なお付き合いも控えめにしています。身体のために塩分を控えたりすることと同じように人それぞれの問題と捉えた上で、私は自分の役割や責任、あるいは自分の能力の限界やキャパシティを踏まえて、情報も人づき合いも自重・やりくりが必要だと考えています。)