言葉の解釈

「メンター」とは?

 

それぞれの考え方で使われているのが実情

 

「メンター(mentor)」

ギリシャ神話に出てくる老賢人「メントール」が、その語源だと言われています。

1980年代の不況のアメリカで成長した起業家が、自分を精神的にも支援してくれた方々を敬意を込めて「メンター」と呼ぶようになったことから、この言葉が広まるようになったようです。

 

ただ最近では企業の中で、部下や後輩を指導したり相談に乗ったりする存在を「メンター」と呼んだりするところもあるようで、「メンター」という言葉は人生を導く師匠といった重厚感のあるニュアンスから、会社の先輩というやや軽いタッチまで幅広く使われるようになっています。

今のところ、それぞれの考え方で使われているのが実情で、それ故に多くの人にとって掴みどころのない言葉になっています。

 

私が考える「メンター」の本質とは

 

私が個人的に考える「メンター」とは、メンティー(支援を受ける側)に対して、ノウハウやテクニックを教えるだけの存在ではありません。

というよりも、むしろ「メンター」の本質は、自律心や開拓精神、あるいは価値観やものの見方を触発することではないかと私は考えています。

 

中でも、メンティー自身が「自分で考え、自分で道を切り開いていく」ために、触媒の働きをすることが第一義だと考えています。

あくまでその後押しとなる形で、色々な視点があることに気づかせてくれたり、言葉にならない心の声を代弁してくれたり、自分の考えに自信が持てない時に肯定感を持たせてくれたり、そんなきっかけをくれる存在が「メンター」なのではないかと思います。

 

そんな存在として捉えてみると、「メンター」というのは直接会うことのできる人物だけでなく、本を通しての関わりや、映画や音楽を通しての関わりなどもあると思います。

本の一節や映画のワンシーン、音楽のワンフレーズから、何かきっかけをもらうことってありますよね。

 

気づきをもらえたり、

ものの見方が変わったり、

発想の転換ができたり、

元気が出たり、

勇気が出たり、・・・

 

それは必ずしも劇的でパワフルな成功物語ばかりでなく、不器用で臆病な自分を受け入れて愚直に歩もうとする姿だったり、今にも崩れそうな決意を何とか持ちこたえている姿だったり、同じように道を切り開こうと闘っている等身大の自分を映し出すストーリーだったりもします。

 

どんな形であれ自分の内面でいろんな体験がオーバーラップして、何かエネルギッシュで主体的な化学反応が起こるような、そんなきっかけをもらえる存在は、広い意味では皆「メンター」と言えるのかもしれません。

私は「メンター」の本質をそんな風に捉えています。

 

世間の声・周りの声・他者の声を横において…

 

ノウハウやテクニックを学ぶことが成果につながりやすい問題の時には、シンプルに、その道のアドバイザーやトレーナーの力を借りることが効果的だと思います。

 

一方で、正解が分からない中での決断や、周りの理解がない中での決断をしたり、自分の弱さや自分の能力の限界と向き合ったりするような、内的なつまずきも絡み合っている問題では、心や意識の深い部分を揺さぶるきっかけに飢えていることが多い気がします。

特に責任ある立場になればなるほど、その傾向は強いのではないでしょうか。

 

私はこのブログにおいて、何よりまず「内省(自問)」の触媒になることを心がけています。

また広い意味でのメンターの役割を、多少なりとも果たせたらと考えています。

 

世間の声・周りの声・他者の声をときどき横に置いて、ふだんは外野の声に圧倒されている自分の声に耳を傾け、心の声を言語化したり自分の考えを再認識したり、発想を転換したり気を取り直したりする、そんなとっかかり・糸口となれば幸いです。

 

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