言葉の解釈

「メンター」とは?

人によって捉え方がまちまちですが…

 

「メンター(mentor)」

ギリシャ神話に出てくる老賢人「メントール」が、その語源だと言われています。

1980年代の不況のアメリカで成長した起業家が、精神的にも支援してくれた方々を「メンター」と呼んだことから、この言葉が広まったようです。

 

近年の日本では、組織内で指導や相談を受け持つ役割を「メンター」と呼んでいる会社もあり、「人生を導く師匠」というニュアンスから、「会社の先輩」という軽いタッチまで幅広い使われ方をしています。

人によって捉え方がだいぶ違うため、以前よりも分かりにくくなった印象があります。

 

私がこの言葉に出会ったのは1990年代です。

起業家向けの本の中でこの言葉を知ったので、捉え方はアメリカの起業家が使っていた感覚に近いです。

 

私が考える「メンター」の本質とは

 

私が考える「メンター」とは、メンティー(支援を受ける側)に対して、ノウハウやテクニックを教えるだけの存在ではありません。

むしろ「メンター」の本質は、自律心や開拓精神、あるいは価値観やものの見方を触発することだと私は考えています。

 

中でも、メンティー自身が「自分で考え、自分で道を切り開いていく」ために、触媒の働きをすることが第一義だと考えています。

 

あくまでその後押しとなる形で、

さまざまな視点があることに気づかせてくれたり、

言葉にならない心の声を代弁してくれたり、

自分の考えに自信が持てない時に肯定感を持たせてくれたり、

そんなきっかけをくれる存在が「メンター」ではないかと思います。

 

そんな存在として捉えると、「メンター」は直接会える人物だけでなく、本を通しての関わりや、映画や音楽を通しての関わりもあります。

本の一節や映画のワンシーン、音楽のワンフレーズから、きっかけをもらうことってありますよね。

 

気づきをもらえたり、

ものの見方が変わったり、

発想の転換ができたり、

元気が出たり、

勇気が出たり、・・・

 

それは必ずしも劇的な成功物語ばかりでなく、

不器用な自分を受け入れて愚直に歩もうとする姿だったり、

今にも崩れそうな決意を何とか持ちこたえている姿だったり、

同じように闘っている自分を映し出すストーリーだったりもします。

 

どんな形であれ、自分の内側でさまざま体験がオーバーラップし、エネルギッシュで主体的な化学反応が起こるような、そんなきっかけをもらえる存在は、広い意味では皆「メンター」と言えるのかもしれません。

私は「メンター」の本質をそんな風に捉えています。

 

世間の声・周りの声・他者の声を横において

 

ノウハウやテクニックを学ぶことで解決しやすい問題の時には、シンプルにその道のアドバイザーやトレーナーの力を借りることが効果的でしょう。

 

それに対して、

正解が分からない中で決断をしたり、

周りの理解がない中で決断をしたり、あるいは

自分の弱さや自分の能力の限界と向き合う問題の時には、

心の深い部分を揺さぶるきっかけに飢えていることが多い気がします。

 

特に責任ある立場ほど、その傾向は強いのではないでしょうか。

 

私はこのブログにおいて、何よりまず「内省(自問)」の触媒になることを心がけています。

またメンター的なきっかけに、少しでもなれたらと考えています。

 

世間の声・周りの声・他者の声をときどき横に置いて、

ふだんは外野に圧倒されている自分の声に耳を傾け、

心の声を言語化したり自分の考え方を再認識したり、

発想を転換したり気を取り直したりする、

そんなとっかかり・糸口となれば幸いです。

 

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