苦手なものは成果につながりにくい
「仕事なんて適当にやればいい!」
「適度に休息をとって、仕事の効率を上げる」
「ほどほどに頑張る」
・・・
こういう表現を耳にして、どう感じますか?
特に何ともないですか?
それとも、ちょっとモヤモヤしますか?
こういうのって、合う合わないがあると思います。
大丈夫な人は、ぜんぜん大丈夫。
苦手な人は、理屈じゃなく苦手。
もちろん良し悪しの問題ではありません。
苦手か、苦手じゃないか。
特質・特性のお話です。
人材開発の観点で考えると、
苦手なことは成果につながりにくいので、賢明な選択ではありません。
無理して頑張っても、徒労に終わることが多いと思います。
「ちょうどいい」は難しい
「適度に…」「適当に…」
私はちょっと苦手です。
若い頃はだいぶ翻弄されました。
経験が浅いと、いろんな人のいろんな意見に感化されます。
理屈としてはもっともなので、なんとなく実践してみます。
しかし奏功しないことも多く、結局、自己効力感が下がるだけで終わったりします。
今は自分に合わせて工夫・アレンジできますが、若い頃はそれができませんでした。
本をたくさん読んできたので、本を通して翻弄されることも多かったです。
近ごろはSNSやYouTubeもありますから、影響を受ける機会は昔の比ではないですね。
私と似たタイプの人は、悶々としているかもしれません。
「適度に・適当に・ほどほどに…」
私がこれらの表現から受ける印象は、
「ちょうどいい頃合い」です。
「ちょうどいい頃合い」で『何か』をやるって難しいです。
『仕事』や『運動』、あるいは『人とのつきあい』とか…
本筋の『何か』をやりながら、「ちょうどいい頃合い」にもアンテナを張る。
そして「ちょうどいい頃合い」を判断し、適切な対応をする。
私にとっては、とても難度が高いです。
「適度」の意味を調べると、
てき-ど【適度】
程度がほどよいこと。また、そのさま。「適度な(の)運動」「適度な(の)湿り気」
出典:デジタル大辞泉 小学舘
「程度がほどよいこと」とあります。
同様に「ほどほど」を調べると、
「度が過ぎないで、ちょうどよい加減であること。適度。適当。」です。
では「適当」はというと、
「① ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。
② 程度などが、ほどよいこと。
③ やり方などが、いいかげんであること。悪い意味で用いられる。」
「適当」という言葉の場合、
①②の意味だけでなく、③の「やり方などが、いいかげんであること。悪い意味で用いられる。」も連想してしまうので、より苦手かもしれません。
「過度はいけない」の方が実践しやすい
自分の特質を踏まえて、私は別の言葉を意識するようにしています。
「節度」です。
「節度」の意味を調べると、
「行き過ぎのない適当な程度」とあります。
辞書の定義だと「ほどほど」の
「度が過ぎないで、ちょうどよい加減であること。適度。適当。」と似ています。
しかし、話し言葉で「節度ある行動」「節度をわきまえる」という表現をするときは、「ほどほど」よりもカチッとしたニュアンスがあります。
「分別」「思慮深さ」「マナー・モラル」「規律・ルール」「自制・自重」「配慮」・・・
こういった暗黙の何かが感じられます。
「節度」の方が、他者や公共、多方面に及ぶ影響をイメージさせるのかもしれません。
「これ以上はいけない」という境界や、「一線を超えてはいけない」という重みが、強く感じられます。
「感覚的なもの」の影響
私たちは辞書の定義ではなく、話し言葉のニュアンスで日常を過ごしています。
「感覚的なもの」が実践や成果に大きく影響しています。
私の感覚では「適度」や「適当」、「ほどほど」は、「ちょうどいい頃合い」に意識が向かいます。
「節度」の場合は、「過度にならないこと」に意識が向かいます。
(※「ほどほど」は、「過度にならないこと」の意識もやんわりと感じられます。)
私は「ちょうどいい頃合い」よりも、「過度にならないこと」を意識した方が奏功しやすい特性があります。
これが、一つ目の違いです。
もう一つは、「過度になること」による支障の大きさ。
「ほどほど」は、なんとなく個人的問題の色合いを感じます。
少しなあなあになりがちで、歯止めが効きにくい気がします。
一方「節度」は、多方面に影響が及ぶ感覚があります。
個人的なことのようで個人的なことでない感覚があり、自制・自重につながりやすいのではと考えています。
近い感覚の方に参考となれば幸いです。

