それぞれに合ったご縁がある
「理念は必要か?」という議論、よく聞きませんか?
この議論について、私はあまり意味がない気がしています。
というのは、理念とは「根底で大事にしている考え方」だからです。
「根底で大事にしている考え方」って、実はみんな持っています。
それを対外的に表明するかしないかは分かれますが、言わなくたって持っています。
「理念なんて要らない」と言っている人は、「理念なんて要らない」という考え方を持っています。
周囲の人たちも、その人がその考え方を持っていることを知っています。
その考え方や付随する言動から、根底の考え方も感じとっています。
結果、その考え方に馴染む人たちがご縁になります。
「理念が必要」という人たちは、「理念が必要」と考えている人と相性がよいです。
「理念なんて要らない」という人たちは、「理念なんて要らない」と考えている人と相性がよいです。
組織のスタッフ一人一人を考えると、現実には100対0ではなく、どちらの人も混ざっていると思います。
しかし、暗黙の空気としてどちらが優勢か、どちらの考え方の人が多いかで見てみると、だいたいリーダーの考え方に呼応しているでしょう。
リーダーにもいろんな考えの人がいますし、属する人たちにもいろんな考えの人がいます。
おそらく長い目で見れば、それぞれに合う関係性にシャッフルされて、落ち着くべきご縁に向かっていきます。
どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではありません。
正解をどちらかに決める話ではないと私は思います。
議論でどちらかに決めたとしても、現実はそれぞれの自由意志でどんどん展開していくからです。
理念はつくるものではなく、表出するもの
私とご縁のある方は、基本的に「理念は必要」と考えていると思います。
それは私がそう考えているからです。
ここからは「理念は必要」という方に向けて、理念の捉え方について少し掘り下げます。
冒頭で、理念とは「根底で大事にしている考え方」とお話ししました。
辞書の意味を見てみると、
【理念】
物事のあるべき状態についての基本的な考え。「教育の-」
出典:三省堂 大辞林 第三版
とあります。
「理念が必要」とは、この辞書の定義で言い換えると、
「物事のあるべき状態についての基本的な考えが必要」ということですね。
「こうありたい」
「こうあり続けたい」
「ここはこうであって欲しい」
「こうでないと、やっていけないと思う」
「欲が出ても、このラインは越えてはいけない」
…
そんな思いって、少し掘り下げたら出てくると思います。
「理念が必要」と感じている人は、おそらく出てくると思います。
そうやって出てきたものが、理念のエッセンスです。
出てきたものがそっくりそのまま理念になることはないかもしれませんが、エッセンスを抽出したり、整理したり、表現を言い換えたり、…
そうすることで違和感のない、自分たちに合った理念が浮上してきます。
理念は、「つくる」というより「表出する」ものです。
すでに内側にあるものの中から、表明したいものを出しているだけです。
崇高な理念か?素朴な理念か?
自分にとって、自分たちにとって、理念は何のためのものですか?
理念が「物事のあるべき状態についての基本的な考え」であれば、その「あるべき状態」を維持するためのものですよね。
逸脱しそうになった時、少しずれてしまった時、まだ浸透していない時、見失ってしまった時に思い出し、再認識し、指針とし、軌道修正していくよりどころだと思います。
であれば、カッコいいこと、崇高な印象、それっぽい感じはあまり重要ではありません。
自分や組織のみんなが理解しやすく、再認識しやすく、実践しやすく、続けていきやすいこと、それが最大の焦点です。
心からの思いや考え方は、維持しやすいです。
当然です。体重が乗っていますから。
なんとかそれを維持しようと力が働きます。
理念っぽい崇高なものでも、頭でつくったものは形骸化しやすいです。
当然です。身体が乗っかっていきませんから。
「理念」という言葉自体、堅苦しくてしっくりこないのであれば、自分(自分たち)にフィットする表現にアレンジするのも意外と大事です。
「大切にしていること」とか、
「根底にある想い」とか、
「そもそもの動機」とか…
ここまで読んでいただいた方の多くは、私と通ずる感覚をお持ちだと思います。
一般的に見て理念っぽいかではなく、
自分や自分たちにとって意味のある、機能しやすいもの。
そんな観点で理念を見直してみてください。

